旭川俳句川柳会 6月会|ピンクのモフモフのペットハウス

1回目なのにもはや詠まなくてもいいという気持ちになる。句を作ることではなくて、その前でいろんな言葉・フレーズを貯めていくだけで十分楽しい。

会は、まず散歩から始めます。30分くらい歩いて、戻ってきて、うんうん唸りながら句を作る、という流れ。(最後に発表してもいいし、しなくてもいい)

この日、旭スタジオを出発して、「美しい心に川は流れる」の標語を見、目の高さの蜘蛛の巣を避けて、雑草が高すぎて心が折れて、引き返して、逆回りに歩くことになった。見たものの写真を撮ったり、メモをしていく。僕のメモ帳には、

 蜘蛛の巣で心折れかける
 リバティ中川口
 紫と赤の体操服
 ミント
 腰に手
 アバブシーレベル
 スズメバチ

以上。最初にいきなり「心折れかけ」ていて、「ミント」はいい感じだけど、すぐに「腰に手」をついている。「アバブシーレベル」はちょっと頑張っている。

この通りを歩いて必ず見つけられるものと、どちらかというと一回きりの出来事に分けられる。
俳句は、一回きりの出来事を季語のネットワークや切れ字のようなルール、俳句的リテラシーに合わせていくことが求められる感じがあり、川柳は、一回きりの出来事も反復するものも同じ目線で見つめている感じがある。

例えば、軒先に干してあったピンクのモフモフのペットハウスみたいなのは、旭川の良さに何ら迫っているわけではないけれど、川柳ならそういうものも許容してしまう。このリサーチ教室も、とうぜん許容する。が、そういうものから旭川の良さに迫れる場合もあるはずで、それを諦めない、というのも大事なスタンスだと思ってやっていきたいので、俳句と川柳両方やり、その距離感を味わう。

10分の1模型ワークショップ#3|窓からみえる景色の重なり

お菓子のパッケージ縛りで模型を遊ぶ回。食べないと配置ができないルールなので、早々に甘い焼き菓子を食べてしまった私は戦略上非常に不利な展開に。みんなもそうで、お茶としょっぱいもので自分のターンを凌ぐ。

ワークが終わってからの対話で話された、お菓子のパッケージでやってみることの効能

・前回のわちゃわちゃした展開と比べて、一手一手詰将棋のような緊張感が出る。見た目のおかしさ(お菓子だけに)以上になにか精密な感じがある

・きらびやかな外面とグレーや銀の内面が、立体として配置すると空間に内外の境界を生む。なので、模型ワークと相性がいい。

・もともとのパッケージの形状を想像できるので、ちぎって使えば、接続先がなんとなくわかる

→次回は、全体の形状がきっちりある1つのものを分解してみよう、という話になる。(プラモデルとか、蟹とか。蟹鍋からの模型ワークは最高だ)

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今回はなぜかずっと手応えを感じていた。神回のように感じたけれど、なぜだろう。
このワークが何をやっているのか、まだまだ言葉で言い尽くせない。

まず一つには、「実際の空間」と「探索するための空間」を切り離し、それぞれ独立に考えてみること。
ここで試されているリサーチは、「実際の空間についての確かな事実を増やしていくこと」ではない。そういうリサーチに抗う。
そうではなくて、実際の空間に基づきつつも、それとは別の原理・ルールで動く「探索する空間」を立ち上げ、その中でのみ成立することが、きちんと実際の空間に戻ってくる(実際の空間に対する新しい理解をもたらす)道筋を作っていくこと。そういう往復が、ここでのリサーチの射程になっている。

なので、じゃあどんな風に実際の空間に戻ってこれるか?を考えている。

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窓に映り込む氷の文字

ふと、模型の中の隣り合った窓の、その両方に、窓の外にある隣家のコンテナの「氷」という文字が映り込んでいることが気になった。そのことを言ったら小坂さんが面白がってくれたので、なんとかそこから考えを伸ばしてみる。

本来、一つの視点から窓越しに外を見たのであれば「氷」の文字は分裂しないはずなのに、この模型では、実際の二つの窓の正面に立って撮影した2枚の写真を、紙に印刷して模型の壁面に貼り付けているので、氷の文字が左の窓にも右の窓にも登場することになる。つまり、正確に作ろうとして平面を貼り合わせても、実際の見え方にはならない。平面と立体には齟齬が生じる。

これは私たちが考えるリサーチについて、とても示唆的だと思う。リサーチにおいて、一つの特定の視点(スケール)を維持することはできない。さらに、複数の視点があったとしても、それらを統合して一つの正しい像を描くこともできない。
つまり、異なる視点の継ぎ接ぎによって、かろうじてイメージに接近する、ような。

キュビズム的なリサーチ。これは、橋爪さんの最近の著作(『人類学のつくり方』)から連想した。

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実際の空間を、探索するための空間(=模型)にするためには、写真を撮って1/10サイズで印刷して模型に貼る、つまり立体を平面にする作業があった。これを逆転させてみよう。

模型の中で写真を撮り、それを実際の空間のサイズに拡大して印刷し、天井から吊り下げてみる。そうすると、実際の空間の中に新たな視点が生まれるだろう。正しくみるためには、模型の中で撮影した視点を、実際の空間の位置で見つけて、そこに立つ必要があるけれど、多くの時間はたぶん斜めから見たり、その横を通り過ぎたりして、見ることにもなる。そうして「異なる見え方が他にもあること」を常に感じながら、スタジオ内をうろつくことになる。

ワークショップの各回で生まれた風景を、そうやって実際の空間に返す。

お菓子パッケージの模型

エアコン工事|管がたくさんある

エアコンは見るからに奇妙な家電だ。室内機と室外機が3本の管で繋がっている。冷媒管2本と銅線1本。管の中の冷媒?は室内と室外を行き来するわけだけど、その様が空港の国際線ロビーの感じに似ている気がする。

3本の管はそれぞれが絶縁テープや保護クッションに巻かれたりしていて、さらにそれをテープで束ねて、保護用のカバーレールに収納して壁に這わせる。
その他、真空機のカラフルなコード。

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室外機を置く場所に紫陽花が生えていた。前私が住んでいた家の室外機の前にも紫陽花がたくさん植えられてあったので、紫陽花の茎がスカスカなこと、途中でポキンと折れて服などに突き刺さることを知っている。今回も、作業用のスペースを確保するのに紫陽花は厄介だった。エアコンの作業を待ちながら、紫陽花を一気に剪定してみる。背を低く、小さく。

塀の足元には、古い雨樋のような長いパイプや棚の残骸のようなものが打ち捨てられている。切断した紫陽花のスカスカの茎はそこに重ねておいておく。

管がたくさんある

10分の1模型ワークショップ#2|ビリヤニの白いところ

第二回を実施。小坂さんがビリヤニを作ってくださる。「ビリヤニは白いところが美味しい」という話は、このワークショップときっと無関係ではないだろう。

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前回を踏まえて、手元で軽く工作をしてオブジェを設置していく、というルールにしてみる。よくわからないものができすぎて、なかなか手にあまる。

エアコンやモニター、本棚など実際の内装にあったらいいものが発泡スチロールで作られる。エアコンからはアース線が引っ張り出されて、それが室内花壇に突き刺さる。巨大な銀の管が壁から生えている。これはじゃがりこの箱を裏返したもの。「糸電話みたいに声聞こえてきそうですよね」「あーじゃあこれもアース線で繋いどきましょう」みたいな会話があった気がする。前回の「植木を室内に持ち込む」みたいなアイデアからもあったように、外とつながる、は、頻出するイメージなのかもしれない。

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この空間に立つ人の視点で写真を撮るのが難しい。なにしろモノが溢れているので、それなりに見通せたりする角度がない。なので、上から全体を撮影する。フライヤーにできるくらいシャキッとしたのが撮れるかなと思ってやってみるが、そんなにスッキリしない。こうやってみると、間取り図は遠近がないのだなと気づく。

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この遊びはとにかく楽しいので、みんな自宅バージョンでやってみてください。町サイズでやっても面白いと思う。小児科の待合室とかにあったら子供はその小児科を好きになると思う。

10分の1模型ワークショップ#2 1 10分の1模型ワークショップ#2 3

10分の1模型ワークショップ#1|どうにでもなる来歴

建築家の小坂さんのご提案で、10分の1のサイズの空間模型を作り、その空間模型を遊ぶことを通して旭スタジオの使い方を探索する、というワークショップをやってみることになった。

具体的には、旭スタジオにあらかじめあるさまざまなもの、例えば端材とか端材とかゴミとか(と、参加者が持ち寄った細々したもの)を順番に空間模型に勝手に投げ込んで、どんなふうになるかをみる。そうして、模型の中で成り立つ空間のあり方が、実際の空間にどんなふうに干渉するのかをみる。順番に一人一つずつアイテムを置くのを5周くらい回して、何ができあがるかを見る。部屋の真ん中で羊を飼ったり、ドームができたり、推定15mくらいの柱が倒れたりする。

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ふつう空間模型には、二つの目的、というか方向性があるそうだ。現実の建物を基準として、抽象化する方向と具体化する方向。つまり細部は再現せずコンセプトの検証といった意味合いで模型を作り、建築が担う体験を抽象的な形で伝える、といった方向と、なるべく細部まで現実に近い形で作り込んで、実際の利用シーンにおいてどのようであるかを検証するといった方向があるそうだ。

おそらく今回のワークショップはそのどちらでもない。模型の中に置かれるものは、色や形の情報が剥ぎ取られたわけではないし、また、その空間に実際にあるものを再現したわけでもない。むしろその空間にとっては異物であり、よくわからない文脈を呼び寄せる。

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たとえば、

①スチレンボードの細長い端材が、玄関から手前や奥の部屋の角まで真っ直ぐに立てかけられる。天井近くの高さで縦横に部屋を貫くそれをみて、天井近くにパイプのようなものがある状態を想像する。

②今度は実際の物件について話しながら。もともと壁上部に開いてあった煙突用の穴(おそらくFFヒーターの排気用)に鳥が巣を作っているのを見て、その穴にアクリルか何かで透明のダクトを差して室内に伸ばし、中に鳥が入ってくるのを室内から眺めて楽しめないか、という話になる。

③その穴の入り口付近には窓があって、窓辺に植木が伸びている。鳥ではなく植木の枝が侵入してくるようなイメージがしてきて、むしろダクトではなくて、枝をそのまま室内に伸ばしてはどうか、という話になる。室外の枝を全部剪定して、室内の枝だけを成長させるのはどうか。

④今度は模型に戻って。スチレンボードの端材で張り巡らされた件の構造物が、さっきの植木=植物のイメージと重なって、なんとなく果樹園に見えてくる。厳密には、構造物を支える中央の柱に、果物用のネットが取り付けられたのが、害獣を木に登らせないための装置に見えたのもあるが。

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このように、模型と実際のどちらもを行ったり来たりしながら想像が膨らむ。

基準はどこにもない、という感覚。現実の空間と照らして、この遊ばれた模型を評価できないし、また逆に、模型の方から現実の空間になにか決定的な知見を返したりできるわけでもない。

しかし、着実に、この空間が持っている来歴や文脈が起こされていく。その来歴・文脈は、以前ここが印刷工場だったり、葬具屋だったり、藤さんがいたりしたこととは関係なく、FFヒーターの排気口とか、窓辺に植木がある、とかそういうどうでもいい(どうにでもなる)来歴・文脈のことを指す。

模型は、これから作られるものの設計図になったり(拡張)、あるいは、すでにあるもののコピーになったり(縮減)するのではなくて、あるもので空間を置き換え、また、模型の話と実際の話を入れ替えながら、色々な文脈を呼び寄せる(置換)といった働きを持っている気がする。

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(これから発生する場所をさがしている)旭スタジオ
秋田市旭南三丁目十番十四号